以前書きましたように自分は、人の親は割と大酒家で子供の頃から周りにアルコールがある環境でしたので、成人してからは自分も飲酒することが当たり前、デフォルトでした。ほぼ毎日飲酒し、飲み会の日はかなりの量をのみ、若かりし頃はお酒で人様にご迷惑をおかけしたこと数知れず。
流石にここ10-20年くらいは大きな失敗はしていませんが、それでもほぼ毎日のように飲酒する生活は続いていました。
そんなアルコールが当たり前の日々だったにもかかわらず、5月前半から始めた禁酒生活をまだ続けることができています(たった1ヶ月弱ですが笑)。これまでも、健康のために節酒する、禁酒することを試みたことは何度かありましたが、長続きしませんでした。
心身の調子が以前より良いです。
今回禁酒できている理由は、
- 時間が大切であるという思いが以前より強くなった(飲酒は時間を浪費する)
- 睡眠の重要性を認識するようになった(飲酒は睡眠の質を下げる)
- hedonicな飲酒とeudaimonicな飲酒を意識するようになった
- 仲間と一緒
が主だと思います。
1−3はこれまでの記事に書いています。
hedonicな飲酒は、依存症ビジネスのカモになったような気がしてきてしまいます。
アルコール産業に搾取されているような気がしてくるようになりました。
4は、仲間と、飲酒状況を報告し合い、一緒に節酒を目指しているということです。これが大きいです。先日触れた「みんチャレ」的なやつです。
アルコールから離れると、色々と感じることがあります。
世の中では、政治家が酔って失言したり、交通事故、傷害事件、若者の急性アルコール中毒をはじめ、アルコールがらみのトラブルが相変わらず多いです。もちろん個人も悪いのですが、それを個人だけの問題にしていることが更に問題かなと思います。
アルコール(しかも高い度数のものも)を容易に手に入れることができる環境がもっと悪いということです。アルコールは大人になったらみんな飲む物とでも言いたげな派手な宣伝やキャンペーン、外食産業、飲み放題、コンビニ。凄まじい依存症ビジネスです。若者のアルコール離れは、良い傾向ですが、だからこそどうにか飲酒者を増やすような様々な戦略を練ってきているのでしょう。
大麻の合法化の問題が一部で盛んに議論されていますが、大麻よりも依存性が高いアルコール合法化の現状も問題だと感じます。今更取り消すことはできないでしょうが(非合法になったら新たな問題も生じるでしょうし)、少なくとももっと入手のハードルを上げた方が良いと思います。
「人間は考える葦である」という言葉もあります。
人間は「考える」ことで繁栄してきました。
アルコールは、飲みすぎた場合には一時的にせよ「考える力」を低下させる薬物です。
「人間」の一番の価値を低下させてしまうと思っています。
もちろん飲んで楽しむのは良いのですが、往々にして度が過ぎて飲み過ぎてしまいます(←自分もこれです)。飲み始めるとついついブレーキが緩んでしまいます。これも薬物「アルコール」の怖さです。
自制できる方は良いですが、自分にとっては飲まないことが一番、というのが今のところの結論です。
元来飲酒されない方にとっては当たり前で、今更何を言っているんだ!という感じだと思うのですが、今ままですいませんという感じです。
節酒したい方、禁酒したい方、一緒にやりましょう。